10 「文成院院号」

「由緒書言上書」に、『文成院の院号一軸 従如上人真筆』とあるが現蔵せず所在不明である。文成院は、九代廓祐である。廓祐は、六代了祐の次子で、寛永二十年(一六四三)誕生、善芸を名乗っていた。

 了祐の長男敬祐・敬祐の長子善祐と次第したが、善祐が元禄二年(一六八九)に十四歳で没したので、末寺還来寺・覚善寺・善行寺より本山に願い出、善芸は四十八歳で得度、廓祐を名乗り相続した。宝永六年(一七二一)六八歳で没。