15 「善仲父子一家免状」 二通

「由緒書言上書」に、『一家免状 二通 善仲父子』とあるが現存せず、所在不明。

 文化十四年(一八一七)「天明已来代々勤書」に、慶長五年(一六〇〇)会津において石山合戦の功により長命寺善仲・西祐父子に、「一家昇進」の免状が与えられ、その御礼として善仲が上京し、ご門跡の御意を蒙り、参内して権大僧都勅許の口宣を頂戴したとある。

 残念ながら両者とも現存せず、准如からのものか教如から出されたものかを判定することができないが、慶長二年・同九年に教如が善乗(善仲)に見真太子御影・聖徳太子真影などを下付しており、本尊・聖教の下付は門主と門徒との結合を強くするという観点から、教如によって出された免状の可能性が高い。

 石山合戦の際に、教如は、その働きによって昇進を約束している事例が多く、准如に跡を譲って隠居中にも昇進を約束している事例がある(「教如上人消息」)。しかし、関東以北の事例は発見されているものが少なく、善仲父子に与えられた免状が教如からのものであるとすると、東本願寺成立までの教如の動きを知る上でも貴重なものである。